人見知りが人見知りのままでいいことを証明するブログ

元・場面緘黙症の人見知り人間が、心を奮い立たせて色々な人と関わっていく様子を綴っていきます

三会目:職場の同僚の送別会に参加。久々に心が折れる

最近、同期で同僚の女の子の送別会がありました。年齢も一つ違いということで、境遇的にはかなり似たところにいたのですが、いかんせん性格が全く合わず、つかず離れず適度な距離間でなんとなーくやってきたような仲。そんな中やってきた送別会。同僚のもう一人の女の子が取り仕切ってくれたこの会には、当然ながら私も参加することになりました。

当日は、車のこともあって直属の上司と一緒に会場入り。すでに半分ほどの人数が集まっており、出来上がっている人は出来上がっていました。職場の中でも比較的話しやすい子の近くが空いていたのでとりあえずキープ。大人数の飲み会には珍しく、どちらかというと喋る人が多い席についたおかげで、最後までコミュ障にありがちな一人でぽつーんタイムがなく、いい感じの時間を過ごすことができました。人見知りのままでいいとはいえ、こういう時の人見知りは本当に厄介。話をつなげてくれる人が周りにいると、本当にありがたい。

こういった飲み会の場が苦手な理由はたくさんありますが、一番は「声が通らないこと」にあります。私はかなりこもった声質で、頑張れば大声も出せるけれども、できれば出したくない。っていうか、出すの怖い。大声出すこと恐怖症。隣に座っている人と話すことすら困難なことが多々あります。少人数のしっぽり飲み会ではまずないことなので、これは本当に大変。よく下座に座って、てきぱきと注文とを取り仕切ることができる人よくいるけど、とても尊敬しちゃう。自分には絶対できません。

飲み会も終盤に差し掛かり、本日の主役にプレゼント贈呈。そして一言。この会を立ち上げた同僚の女の子と今回送り出される子は職場の中でもかなり仲が良く、たったの1年だったけど本当に良い1年を過ごせたとお互いに言っていて、感動してしまった。と同時に、双方と同じ部署でおなじ仕事をしていた仲間の一人としては嫌でも疎外感を感じてしまい、久々に辛かったのを覚えています。違う意味で泣きそうだった。性格には相性があるとはいえ、もう少し歩み寄っても良かったのかも、と。せっかく同じ日に入社して、出身大学も同じで、県外出身で。話せることはたくさんあった。でも、自分から話を振ったことなんて、これっぽっちもなかった。自分の悪いところだと思った。

今回のことで、「しょうがない」をどこまで許容していいのか、よくわからなくなってしまっています。人見知りのままでいい、喋るのは苦手でいい。そのままの自分で生きていくんだ。でも、それって思考停止じゃない?努力を怠ってない?チャンスをみすみす逃すことになってない?

あれ、でも今の私って、新しいコミュニティにも積極的に参加している。新しい関係を増やしていこうって意志がある。でも何かが違う。今ある関係性を、もっと頑張って太いものにしていこうっていう気概がない。これっていつか、自分首を絞めることになるんだろうか。それともそれを貫き通すことで、見えてくるものもあるのだろうか。

 

 

よくわかんないなあ。

 

私の大好きなしいたけ占いで、しいたけさんが言っていたことを思い出しました。今週は積み上げては壊し、積み上げては壊し、その繰り返しをするんだと。傷つくこともあるだろうけど、それでも大丈夫だと。試行錯誤の日々。